竹端 寛(山梨学院大学 教員)
4月の週末は4週間連続で京都に通っていた。『オープンダイアローグ(OD)』(日本評論社)の訳者である高木俊介さんが、ご自身の所属するACT-Kという精神科の訪問支援チームのメンバー向けに開催されたクローズドな研修に参加させて頂いたのである。高木さんは私財をなげうち、ODの執筆者の一人で「未来語りダイアローグ(anticipation dialogue:AD)」を唱えるトム・アーンキルさんと弟のボブさんを日本で招いていた。ちょうど、そのトムさんに1年前、この依頼する場で通訳の真似事をしたことがご縁で、僕もその研修に混ぜて頂いた。
今回、この研修に参加したかったけど出来なかった人が多かったと聞いたので、少しでもOD/ADの理解に役立てば、と一参加者として感じた事・理解した事をまとめておく。なお、ちゃんと理解したい人は、先述の本をしっかりお読みになることをお勧めする。
ADのプロセスとは、おおむね次のようなものである。社会関係がうまくいかず・つまづき、支援者が介入するもうまくいかない「困難事例」に関して、「当事者(家族)の『問題』」に焦点を当てず、「支援者の『心配事』」に焦点を当て、それを解決するために、当事者や家族、支援者などの関係者に集まってもらう。そして、想起(anticipation)すべき未来を当事者と決めた上で、例えば1年後と決めると、次のように聞く。
(1)「一年がたち、ものごとがすこぶる順調です。あなたにとってそれはどんな様子ですか?何が嬉しいですか?」
(2)「あなたが何をしたから、その嬉しい事が起こったのでしょうか?誰があなたを助けてくれましたか?どのようにですか?」
(3)「一年前、あなたは何を心配していましたか。あなたの心配事を和らげたのは、何ですか?」
この3つの質問について、ご本人だけでなく、ご本人に関わる支援者にも一人ずつ話してもらう中で、みんなの心配事だけでなく、希望する未来に向けての具体的な行動が明らかになり、本人と家族や支援者の関係が大きく変わり始める。
・・・これだけ聞くと、ほんまかいな?と疑いたくなる。僕も半信半疑、というか、「そうなればいいけど、1回のミーティングでそんな変化が生じるだろうか」と半信半疑だった。だが、実際の事例を通じての「ライブダイアローグ」のセッションの場面で、ACT-Kの利用者さんと支援者達が、トム&ボブの二人のファシリテーターに上記の3つの質問をされて話し合う場面を別室からの映像越しに眺める中で、本当に「ほんまかいな」の出来事が「ほんまに」起こっていったのである。これが、最大の驚きだった。先ほど、上述の本の第4章を読み直したが、そこに書かれていた通りのことを、トムやボブは実践し、それで大きく場面が展開していたのである。それは一体どういうことなのだろうか。少しだけ、体験したことの振り返りをしておきたい。
まず、他の多くの参加者が言っていたことだが、「聞くと話すをわける」「安心して話せる空間を確保する」、というのが、この未来語りダイアローグの最大の特徴だろう。ファシリテーターがこのミーティングをハンドリングするのだが、通常のケース会議やサービス担当者会議と違い、「ファシリは事例に関わっていてはいけない」「ケースにではなく、ダイアローグに集中するのがファシリの役割」なのである。これは一体どういうことか?
困難事例、とは、支援者が通常のかかわり方でうまくいかない事例、である。つまり、その困難性は「支援者にとっての困難」でもあるのだ。だからこそ、会議では「支援者の困難を解決する為に本人に協力して頂く」というスタイルをとる。支援者が本人の困難性について論じる、というのは、ご本人にとっては自分が批判や非難の対象である、と感じやすい。だから、本人の困難に焦点をあてるのではなく、支援者が何を心配に感じているのか、を主題化するのだ。ゆえに参加した当事者は、支援者の困難性を解決するのを助ける立ち位置、を取る事が出来る。ここが、通常のケース会議とは全く違うところである。
そして、上記の例でもわかるように、支援者が「困難さ」を感じている事例について「相談」するのだから、その事例に関わる支援者が会議のファシリテーターになってはいけない。あくまでも、一参加者として、当事者とも対等な立ち位置で、その「心配事」について「相談する」のである。だからこそ、外部のファシリテーターが必要であり、今回の京都の集中研修はファシリテーター養成の為の研修であった。
ただ、このADは治療でも心理療法でもない点が特徴である。つまり、一定のトレーニングは必要だが、資格がないと出来ない、ということではないのだ。その代わり、心配事がかなり極度になっている急性期においては、ADではなくケロプダス病院でやっているようなODの手法が必要であり、ADでは対処出来ない。一方で、急性期では無い心配事で、混乱している状況を整理するためなら、精神医療の現場以外でも、例えば組織内・組織間コミュニケーションの不全などの問題でも、このADのファシリテーションは使える、というのが、僕にとって最大の発見であり、魅力だ。
実際に自分も「脱施設化」に向けた「未来語り」のplanning meetingに実際のダイアローグの参加者として立ち会った。その中で、僕自身が「脱施設化について1年後、どんな嬉しい変化がありましたか」「あなたは何をしましたか? 誰としましたか?」「1年前の心配事は何で、何があなたの心配事を減らしましたか?」と聞かれた。「自分はどんな未来を想起して、自分には何が出来るか?」と問われるのは、外から観察していると簡単そうな質問に聞こえるが、答える張本人にとっては、結構グッとくる質問である。しかし、自分自身もこの問題であれこれ書いてきたし、それでも変わらない現実に大きなworryを抱えていたので、気がつけば「ファシリテーターとしての腕を1年後に上げています」という「未来語り」をしながら、そうなるための方法論を具体的に話している自分がいた。
この際、一参加者として実感したのは、ファシリテーターがアドバイスも提案もしない、じっくり聞いてくれる、というのが、これほど嬉しい体験か、ということである。「話すことと聞くことを分ける」ことで、僕もライブの間、ほかの人の発言を真剣に聴きながら、自らの中での内的対話をしているし、僕の発言もしっかり聞かれていて、他の人の内的対話を促している。まさに交響曲(ポリフォニー)のような空間なのだ。
不確実な未来についての何らかの提案や宣言は、勇気が要る。しかも、馬鹿にされたら・非現実的だと言われたらどうしよう・・・という不安や心配事も抱えやすい。でも、トムやボブといったADファシリテーターは、「ケースにではなくダイアローグに集中している」ので、どんな発言でも、批判も非難もされない。具体的に「いつからですか?」「それは一体何ですか?」という事実質問をする。前回のエントリーで「なぜ?」の問題を問うたのは、ここに起因する。語りにくい未来を恐る恐る語った相手に、「なぜ?」と問い詰めたりだめ出しをして気持ちをしぼませずに、具体的な未来像を語ってもらうための、事実質問なのだ。
僕の場合、「ファシリの腕を上げる、ということはどういうことですか?」と聞かれ、こんな風に答えていた。
「この研修で、精神科病院の中で働く方々が、様々な苦悩を抱えているのを知りました。支援者は、自分自身の心配事をそれとして言えない。だからこそ、何かがオカシイと感じても、変わることが出来ない。それが結局「どうせ」「しかたない」という諦めや現状肯定につながってしまう。一方僕はそんな現実を問題視し、多すぎる精神科病院に関して、いつも外から批判をし続けて来ましたが、全然変わらない現実に、半分絶望していました。
しかし、今回の研修で、精神科病院の中の人と外の人が対等な場でダイアローグすることが出来たら、そこから風通しが良くなり、精神科病院の現場での苦悩が表面化することで、解決策に結びつくきっかけがうまれるのだ、と思いました。その中で、ちゃんとダイアローグされている病棟現場なら、声高に『脱施設』と言わなくとも、『重度かつ慢性』の人も含めて、どうしたら退院できるか、を話し合う土壌が生まれると思います。
そういう意味で、僕は精神科病院の中の人と外の人が開かれた場でダイアローグ出来るような1年後になっていてほしいし、そのためにはこの1年間で、そういうダイアローグが出来るためのファシリテーターとしての腕を上げたいです。」
正直、こうしゃべりながら、僕自身が楽になっていた。
それは、自分自身の「心配事」が「解決された未来」から、自分が変わるべき課題や具体的に出来るアクションを口に出来るから、である。正直、上記の内容は、この研修を受ける前に、思いもしなかった。でも、精神科病棟のスタッフで参加している研修仲間達のライブダイアローグを拝見したり、対話を重ねる中で、外から批判するより、中の人の心配事を理解し、それを解決するための「建設的対話」を重ねていくことが、中の人が納得して変わるきっかけになるのではないか、と思うようになった。実際、ファシリテーターが入った、病院内の「心配事」に関するダイアローグの後、その病院の関係性は変わり始めるのではないか、という感触を、見ている僕も抱くことが出来た。
だからこそ、僕自身もこのファシリテーターとして、地域の現場や、あるいは病院の内外でのダイアローグの場に居合わせ、未来語りの瞬間に立ち会い、そのダイアローグの手伝いをしてみたい、と思っている。そうすることで、批判するだけではかえって頑なになり、聞く耳も持たれなかった外部者の「声」が内部に届くのではないか、と思っている。そして、病院の内外の人が対等な立場で、病院の人の「心配事」に向き合う事が出来れば、内外の障壁の高さが下がり、それがひいては病院職員のマインドを変え、結果的に「脱施設とは言わない脱施設化」を進める兆しになるのではないか。そんな「想起(anticipation)」をし始めている。
ちなみに、今回の通訳をされたのは、あの『プシコ・ナウシカ』を書いた松嶋健さんだが、彼と二人で、精神病院の内外でのオープンな対話って、イタリアのアッセンブレアそのものだよね、と話し合っていた。そう、イタリアの脱施設化は、病棟内でのオープンな対話から始まったのだ。それを日本で実現するためにも、この「未来語りダイアローグ」は充分使えるのではないか。そう思うと、希望がわき、ワクワクとした4週間だった。
さて、ファシリテーターとして、どこから何が出来るのか? 僕の具体的なアクションプランが、始まろうとしている。