ネットワーク・ダイアローグ20周年記念セミナー 報告#2

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ネットワーク・ダイアローグ20周年記念セミナー 2022年9月15日・16日 ロバニエミ、フィンランド
この20周年記念セミナーには、DPI理事の片岡豊の他に、保育・教育分野でダイアローグ実践をされておられる高橋ゆう子さんと通訳の森下圭子さんが参加。ここに3名による報告記事を掲載いたします。

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高橋ゆう子

ロバニエミで行われたダイアローグ実践者の20周年記念セミナーに参加する機会が得られましたので、その報告を、ダイアローグ・ミーティングの経過のようにアレンジして整理してみました。登場人物はすべて仮名です。実際のセミナーも二人の司会者がファシリテーターのような形で進んでいたのが印象的でした。「」内は、セミナー参加者が話したことが元になっています。

対話について学びを深めている実践者たち(花子さん、明美さん、和夫さん、美紀さん)は、次のようなテーマで話をしています。『個人的なものが、自分の中にあるもの(内側にあるもの)が、どうやってダイアローグになっていくか、他の人とのダイアローグになっていくか』
 花子さんは「勇気をもって自分の内側にあるものを外にだす、考えているものを外にだす。それが人と一緒に話すことによって、少しずつ変わっていく。それがダイアローグになる」と話しました。明美さんは「内側にあるものを聴く、それが共有するものになる。共有することがダイアローグ」と言いました。
 続いて和夫さんは「一緒に、ということを考えながら何か共通するものに気づく。内側にあるものを表に出したときに、相手が頷いたところで、そこで何かが始まる。誰かが反応してつながったとき、それが少しずつダイアローグとなる。ことばがいくつかあったとして、それが続いたとき、身体感覚にもあるが、それに気づいたとき、ダイアローグとなる。」さらに美紀さんは「自分の内側にあるものを共有したいと思うから外にだす。共有にはいろんな形がある。一緒に話すとしても、人によってとりあげるところが違う。それぞれ、話が続くことになるのがダイアローグ」と話してくれました。

 次に、4人の実践者たちが、それぞれ考えているダイアローグを実践するにあたって、今、気になっていること、不安に思っているしたことについて話しました。花子さんは「他の人の声に応答したいと思って話をしたとしても、それが求めていることではなかったりすることがあることが気になっている」、明美さんは「その人にとって大切なことは何か、見つけようと探っていても生まれないこともある。また、その人の言うことに対して自分の意見が反対なときに、自分がどうオープンでいられて、どう話せばよいかを考えるときがある」と戸惑いやあまり好ましいとは思えない状況について話しました。
 そして和夫さんは「絶対意見を通したい人がいたとき、迎合しただけではダイアローグにならないし、自分の中に何か違和感が生まれたときに、表に出さないでいたのは危険だと思う」と語りました。さらに明美さんは「話し合いが難しくなったと思ったとき、なんとかしようと、無理やり誘導しようとするのは危険だと思う」と話したら、和夫さんが「無理やりって十代の子たちが典型じゃないかな、でも十代の子たちの言動って私達にとって、学びのモデルになるかも。ひょつとして一人になろうとするのは、自分が相手に対して強引になりそうで、危険だと自分でも感じてしまったりするからかも」と少し上を見上げながらつぶやくように話しました。

 さらにそれぞれが、努力していること、助けになっていることを話しました。花子さんは「答えに正しいも正しくないもない。いろんな見解が、一つの道に導いてくれると感じている。自分としては、いかにその筋道を安全に作れるか、そこに力を入れている。そしてみんなが同意する必要はなく、信頼関係が大切だと思っている。なんでも言えるときは、自分の意見も変えていけるときで、やはり聴いてくれる人が私にとって助けになる。トレーニングによって、違う意見をもつ人の話を聴けるようになって、自分の話を聴いてもらうことが大きい」と話した。明美さんは「安心安全と信頼を大切にして、計画を捨てること」と答え、アーチを作るように手を動かしながら「話が離陸するような感じになったら、着地できることを念頭に、その中で自由度を考える。組織などが大きく変わろうとするとき、みんなが同じように理解する必要はなく、言ったことを十分わかっていることが大切だと思うので、聴くことに努めている」と続けました。和夫さんも「計画していくことと計画を手放すこと」を挙げました。「計画を手放す自分に不安のような感情が生じたときに、どこからくるんだろう、と考えて、言葉でもなんでもいいのでその気づきを表現してみる。だって、理由もなく不安になるのは自分も耐え難いけれど、話をしている相手にとっても目の前の誰かが感情的になったりしたら、苦しいと思うから。そうすることで話を続けることができると思ってやっている」
 美紀さんは「対話性を実現させるのは、信頼性があってこそ。信頼できるというのは、多様性に寛容であること、つまり人はそれぞれ違うことを自覚すること」と話しました。そして「心が柔軟であるために、もう一人のファシリテーターが助けになる。」と続けました。

 その後、4人の実践者を囲んで話を聴いていた人たちが、リフレクティングを行いました。ある人が「自分の内側にあるものを出すのは難しいのではないかと思った」と話したら、「うまく出てこないと引き出そうとしてしまいがちになるけど、それよりも信頼関係をつくることが大切じゃないと思った」という声があり、「ファシリテーターとして自分の人間性にも寛容であった方がいいんじゃない」と続ける人がいました。
また、「ダイアローグは構造がないとやりにくいと思った」「事前に脚本みたいなものがないと難しい」と話した人がいました。それに対して「あってもいいけど、絶対にやらなくてもいいかなと思った」と別の人が話しました。すると失敗談のような思い出話をしてくれた人が現れました。「計画通りにいかなかったとき、みんなに吐き出してもらわないと、と思ってやったら、吐き出しが止まらなくなって、それで終わってしまったときがあった。学校の統廃合についてのミーティングだったが、みんなが出し切ったあとの2回目はスムーズだった。そのときテーマにしたことは“新しい学校で、どんなことがしたい”だった」
 そして話の焦点は、「難しい感情が生じたら」に移っていきました。「難しい感情は、時間をかけると変わるときがある、言い換えれば難しい感情はきっかけかもしれない。」「そう、難しい感情、複雑な状況を自覚できたところで、何かが必要だと思えること、そのことが解決に向かうんじゃない。」「難しい感情を受け止めることが自分の専門性かも、そんな中で安全を確保することがダイアローグで大事だよね」
 一人の経験豊富なある地域の『ダイアローグの母』のような存在である道子さんが静かに語ってくれました。「ファシリテーターとして困難にぶちあたったと思ったとき、“どうしたらいいの”とまず自分の声に集中して聴いて、もう一人のファシリテーターに“私、今こういう気持ちでいるけど、立ち止まった方がいいかな”と話したりしたことを思い出した。これがないと孤立してしまう。こういう経験を通して自由度が少しずつ増していったように思う」

その後、いくつかのグループに分かれて、それぞれ「1年後の自分」について語って、帰路につきました。

2022年9月23日 高橋ゆう子

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